通説以上、陰謀論未満

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「中立が大事」という固定概念

何かを発言する際は「中立でなければならない」という固定概念がある。しかし、ある研究機関は、そもそも存在しない中立を諦めて、冒頭に「偏っています」と主張することを勧めている。

ICASの考え方

批判的動物研究機関(ICAS)は、客観的ではなく主観的であることが重要だと考える。

彼らは研究における10個の原則を設けているが、その一つが「主観的(subjective)」だ。

以下のように説明が加えられている。

「執筆や研究が非政治的であるといった実証主義的な幻想が一切ないように、その規範的価値や政治的コミットメントを明確にすることで、疑似客観的な学術分析を拒否せよ。(中略)意見を述べるときに、冒頭で、自分の社会政治的、経済的地位と経験を説明するなど、自分の主観を持ち、自分の立場を明確化せよ。(拙訳)」*1

 

つまり、「政治的でない執筆がある」という幻想を捨て、冒頭で「どう偏っているか」という自分の背景を説明せよ、と言っている。

 

発信者は中立を諦め、「どう偏っているか」冒頭に言おう

ICASの考えは、「中立的な意見」を考える際にも応用できる。

会社員がプレゼンテーションで「中立的な意見」を述べるのは困難だ。なぜから、特定の業界の知識に偏っていたり、大学院の専攻が特定の分野である限り、そうした経験を過大評価してしまうからだ。

 

それなら、「私は、ベンチャー企業で長い間勤めていたため、今から言う政治的意見は、規制緩和といった『小さな政府』的な考えに偏っているかもしれません。その上で聞いていただければと思います。」と前置きした方が、中立であることを無理にアピールするより誠実ではないだろうか。

 

受け手は中立を諦め、「色んな偏り」を集めよう

中立が存在しないとすると、我々は「中立的なメディア」には頼れない。それではどう情報を集めるべきか。偏っている全人類から、多様な方向の偏りを集めれば良いのだ。

 

「この人/メディアは偏っているから参考にしない」ではなく、偏った人/メディアをたくさん参考にする。そうする事で、多様な意見が集まり、複雑で多面的な真実が見え始める。

 

「中立」という便利ツールは存在しないと諦め、量をインプットしよう*2

*1:ICAS-Handout-2016, The Institute for Critical Animal Studies, http://www.criticalanimalstudies.org/wp-content/uploads/2016/03/ICAS-Handout-2016.pdf

*2:本記事は「中立という一点は存在しない」という説明をしたが、複数の視点を取り入れること自体を「中立」と呼ぶ人もいる。その定義における「中立」は存在するだろう。あくまで「中立とはほんとうに重要なのか」という問題提起の記事であるため、本記事の考え方だけが正解ではないだろう。