通説以上、陰謀論未満

他のブログと異なる点:論文や学術本を根拠に示しているため、より信頼度の高い情報を提供いたします。

「真実」は複雑で、難しくて、つまらない

多くの社会問題や現象の「真実」は、複雑で、それ故に難しく、多くの人にとってつまらない。

 

 

 

真実は丸く、知識は補助線

真実を丸、知識を補助線として捉えると、分かりやすい。

以下の図は、保守思想家の西部邁*1と哲学者の鷲田清一*2の考えを参考にしている。

 

真実は丸、知識は線と考えよう

丸い真実に対して、知識は線である。すなわち、ある社会問題に対して、一つの知識は真実の赤い部分しか知ることができない。知識を、一つの学問や一つの見方と置き換えても良い。

一つの知識だけでは真実を理解できない

一つの知識だけで、真実を全て網羅することはほぼ不可能だ。何かを解決したい時も、一側面だけで考えてはいけない。「財務省が考えを変えれば日本経済は良くなる」「日銀の委員を変えれば日本経済は良くなる」「ディープステートという悪の組織を倒せば、世界が救われる」「〜を潰せば、全て解決する。簡単な話だ」といった魔法の言葉に注意しなければならない。

複数の知識の線を組み合わせることで、やっと真実が見えてくる

つまり、複数の知識の線を集めることで、初めて丸い真実を把握できる。知識をたくさん集めても、真実を把握しきれないことがほとんどだ。上記の図では、多くの赤い補助線を引いたのにも関わらず、まだ黒い隙間(=解明されていない真実の側面)がある。

 

具体例として、環境問題の適切な解決策を考えてみよう。

CO2排出量の側面だけに注目してはならない

CO2排出量という一つの側面は、線である。すなわち、それだけでは「環境問題の適切な解決策」という丸い真実を把握できない。

環境団体は「CO2排出量を減らすために、今すぐ再エネ100%にしろ!」と主張するが、それが適切とは限らない。突然再エネ100%にすると、雨の日に太陽光発電が機能せず電力が足りなくなったり、電気代が上がって貧乏な家庭が困ったり、企業が「電力が安定しない日本に、データセンターや工場なんか置けないよ。海外へ行きます。」と言って産業が縮小したり、原発の使用済み核燃料の行き場に困ったりと、多くの問題が生じる。

複数の側面から考えよう

つまり、「環境問題の適切な解決策」という丸い真実に対して、複数の線を引かなければならない。CO2排出量だけでなく、安定的に電力を供給できるか、原発や再エネに関わる利権、オーストラリアから輸入している石炭やロシアから輸入しているLNGといった安全保障面、株主の利益を考える企業、雇用を守りたい労働組合、短時間で受給調整できるか(ΔkW価値)、電力量(kWh)、供給能力(kW価値)、選挙対策自治体との交渉......必要な補助線は多い。

 

日本経済を良くさせるためにも、「お金をもっと刷ればいいだけ。簡単な話だ。」といった丸い線は存在しない。産業構造改革、それによって雇用がどうなるか、経済学的にはどうか、政治的に反対する人は誰か、複数の直線を引いて、少しずつ日本経済回復という丸い真実に近づく。

一つの知識や側面だけでは、真実を把握できない。私たちが思っているより、真実は多面的で、複雑で、難しくて、調べるのに時間がかかり、面倒臭い。

 

真実を追うための三つのコツ

真実は難しいという事を忘れないために、以下の三つを意識しよう。

①友達を作る

日常生活でストレスを溜まっているなら、まず話し相手を作ろう。それが無理なら、音楽を聴いたり、散歩をして自然に触れたり、ストレス発散をしよう。

頭が悪くて精神不安定なネットユーザーは、「敵と味方」という単純な線を引き、「敵」である学者やコメンテーターに罵詈雑言を浴びせる。なぜなら、彼らは本当に社会問題を解決したいのでは無く、「敵であるあいつら」を罵倒する快感を優先し、それによって日常生活で友達のいないストレスを発散しようとするからだ。

Twitterで「反緊縮」「反ワクチン」「ディープステート」とプロフィール欄に書いてある人のツイートを見れば、その攻撃性や、反対意見を持つ人と建設的な対話をする気がないのが、目に見えて分かるだろう。私は海外でシェアハウスをしたことがあるが、友達がいなくてスマホばかり見ているルーマニア人のおじさんが、「安倍晋三アメリカの指示で殺された。メディアを信じてはならない。直接見ていないから(←あんたが直接見てないじゃん、と突っ込みたくなる)」と陰謀論を語っていたのを思い出す。

トロント大学のレイボヴィッツらの研究(2021)によると、「コロナ陰謀論者と不安さ(anxiety)には関連があった」「ポジティブな自己スキーマ(自分の社会的役割、性格、スキル、身体的特徴などに対する認識)を持つと、陰謀論に引っかりにくい」という*3

pubmed.ncbi.nlm.nih.gov

アメリカの議会襲撃の原因となったQアノンに関する研究やその他の陰謀論者においても、彼らの精神状態に問題があったことを示す研究結果は多い。

日常のストレスを、ネット上で誰かを叩いて発散するのではなく、友達を作ろう。精神を安定させよう。

目から鱗を落とさせない

専門家の話を見たり聞いたりする過程で、「こんな事実があったんだ!」と驚くことがあるが、それはそれで危険である。というのも、その知識は一つの線でしかないのにも関わらず、丸い事実を全て網羅したと錯覚させる効果があるからだ。経済学や因果推論で大きな研究業績をあげている成田悠輔教授は、自身のTwitterで「『目からウロコが落ちた』と感じたときは赤信号。だいたいもっとヤバい別のウロコが目にこびりついただけだから」と言っている。

 

人の話を聞いて驚いた後、「すごい事実だけど、これは一つの線に過ぎない。丸い真実を把握するために、他の知識=線もたくさん集めよう」と考えよう。

③学術本や論文を読む

すっきりしない文章に慣れよう。学術本や論文は、感想と事実がしっかり分けられ、事実を言う場合はその引用先が必ず提示され(参考文献)、しばしば研究者同士でチェックし合う機会(査読)がある。対して本屋にある新書は、引用先が書かれていないことも多い。論文と本屋の新書の参考文献の数を比べれば、一目瞭然だ。

学術本を読むために、大学の図書館へ行こう。それが無理だったら、学術本の多いジュンク堂丸善へ行こう。家から出るのが面倒臭ければ、Google Scholarという論文が掲載されているサイトで、興味ある分野を検索して、一つ論文を読んでみよう(全て理解できなくても構わない)。

学術的な文章に慣れていない多くの人にとっては、さぞかしつまらないだろう。「真実はこれだ!」という新書にありがちな書き方では無く、「日本経済停滞の要因は、Aと、Bと、Cと、Dと、E、、、かも知れない。統計の取り方によって、この答えは変わる、、、かも知れない。今後も研究が必要だろう。」というすっきりしない内容だからだ。

しかし、この試みこそが「丸い真実を把握する」ことだ。知識の補助線を繰り返し引くことが、「難しくてつまらないが大事な作業」であることを体験しよう。

 

補足

最後に、2点だけ補足させて欲しい。

1点目は、敵-味方の単純な構図も時には必要、ということだ。

例えば、選挙において、有権者は「誰が本当に良い政治家か」を知るために(丸い真実を把握するために)、政治家に関するあらゆる情報を調べる(複数の線を引く)時間やモチベーションが無い。そこで、「この人は憲法9条に賛成/反対してるから好き」とあえて単純化することで、ざっくり理解できるようになる。政治学はこうした簡単に手に入る情報を「インフォメーション・ショートカット」と呼び、イデオロギーや「業績評価投票」がその例に挙げられる。

イデオロギーとは、「この政治家は保守的だよね」「この人は改革したがってるよね」など、政治家の持つ思想の特徴と捉えてもらって構わない。

飯田ら(2015)によると、有権者が政治に詳しくなくても、イデオロギー的に政治の対立を理解することで、それぞれの政党がどんな立場か正確に把握しやすくなるという*4。昔は「保守v.s.革新」というイデオロギー対立によって政治が理解しやすかったが、1993年に新しい政党が増え、誰がどのイデオロギーか分かりにくくなった。単純化が難しくなったことで理解が難しくなり、どの政党も応援しない人や選挙に行かない人が増える一因になったかもしれない。

「業績評価投票」とは、立候補した政治家が今まで何をしてきたか、に注目して投票することだ。これから何をしてくれるかを予想するより、「あの人は不祥事があったから嫌だな」「小池百合子クールビズを流行らせたから好き」と単純化する方が、忙しい有権者にとっては楽だろう。

丸い真実を把握する時間やモチベーションが無い場合は、敵-味方の単純な構図でざっくり理解することも必要だ。

とりわけ専門家は、単純化している自分を許す能力が必要だ。 

専門家がメディアに出演するときも、面接官に自己PRをするときも、「正確に長く喋りたいな。でも、ざっと全体像を理解してもらうために、苦しけど単純化して短く話そう」と思い切ることが必要だ。私もこのブログで、学者に「もっと正確に書けよ」と口出しされるリスクにぶるぶる怯えながら、分かりやすい言葉に要約している。

もちろん、じっくり解説する時間が十分にあり、正確に分かってもらいたい人を集めたいなら、複雑な事を複雑なまま説明することも大事だ。

 

2点目は、知識の補助線を「一つだから無意味」と捉えてはいけないことだ。

一つの知識では不十分という話をしてきたが、だからと言って一つ=無意味というわけでは無い。「その一側面ではそう見える」以上でも以下でも無いからだ。

「国別の幸福度ランキング」や「住みやすい街ランキング」では、たいてい「これくらいなら5、これくらいなら4」と数字を使ってスコア化している。これに対して、「数字だけじゃ表せないじゃん。だから意味ないよ。」という人たちがいる。

この指摘の前半は正しいが、後半は間違っている。確かに、数字によるスコア化は一つの補助線であり、それだけでは丸い真実を把握できない。しかし、それは真実に近づくための立派な一つの線であり、「だから意味ない」わけではない。スコア化は「数字で要約している」以上でも以下でもないし、数式を使った経済学のモデルは「一つの仮説を説明するためのツール」以上でも以下でも無い。

一本の線を見た時に、「これで真実が分かった」とも「これは無意味だ」とも思わず、「丸い真実を把握するための、一部分だな」と中途半端な気持ちになろう。

 

多くの社会問題や現象の「真実」は、複雑で、それ故に難しく、多くの人にとってつまらない。SNSのスッキリした情報に満足せず、コツコツと補助線を集めよう。

*1:TOKYO MX(2012年3月17日放送)「西部邁ゼミナール」 筆者は西部邁の意見に反対するところも多いが、本記事では彼の図解のみ参考にさせてもらった。

*2:「教養とは、一つの問題に対して必要ないくつもの思考の補助線を立てることができるということ」、鷲田清一(2019年)『岐路の前にいる君たちに ~鷲田清一 式辞集~』、朝日出版社

*3:Talia Leibovitz, Amanda L. Shamblaw, Rachel Rumas, Michael W. Best, COVID-19 conspiracy beliefs: Relations with anxiety, quality of life, and schemas, Personality and Individual Differences, Volume 175, 2021, https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/33531727/

*4:飯田健、松林哲也、大村華子(2015年)『政治行動論 -- 有権者は政治を変えられるのか』、有斐閣ストゥディア、p. 67