人生で「私って軸がブレてるな」「バンドで生きていくと決めたのに、結局就職して会社員やってる私、矛盾してるな」と迷うことがあるかもしれない。しかし、全く問題ない。先人達は「どんどん矛盾していこう!」と言ってきたからだ。
平野啓一郎「矛盾してもいいよ」
中心に一つだけ「本当の自分」を認めるのではなく、それら複数の人格すべてを「本当の自分」だと捉えます。この考え方を「分人主義」と呼びます。職場や職場、家庭でそれぞれの人間関係があり、ソーシャル・メディアのアカウントを持ち、背景の異なる様々な人に触れ、国内外を移動する私たちは、今日、幾つもの「分人」を生きています。自分自身を、更には自分と他者との関係を、「分人主義」という観点から見つめ直すことで、自分を全肯定する難しさ、全否定してしまう苦しさから解放され、複雑化する先行き不透明な社会を生きるための具体的な足場を築くことが出来ます。
夏目漱石「矛盾してもいいよ」
夏目漱石は、自身の講演で、学者の言う矛盾を「それは矛盾ではなく調和だ」と訂正している*2。実業家や芸術家が「私生活で自由に過ごし、仕事でルール立って行動すること」は、決して矛盾ではないという。
実際の内面生活から云えばかく二様になる方がかえって本来の調和であって、無理にそれを片づけようとするならばそれこそ真の矛盾に陥おちいる訳じゃなかろうかと思います。なぜというと、一つは人を支配するための生活で、一つは自分の嗜慾しよくを満足させるための生活なのだから、意味が全く違う。意味が違えば様子も違うのがもっともだといったような話であります。
詩人ホイットマン「矛盾してもいいよ」
アメリカの詩人ウォルター・ホイットマンは、詩集「草の葉」の一節にて、自分自身が矛盾することを恥じずに、時間と共に考えが変わることを受け入れよう、と訴える。
Do I contradict myself? Very well, then I contradict myself, I am large, I contain multitudes. (拙訳:私は矛盾しているのか?問題ない、私は矛盾している。私は広く、私はいくつもの事柄を取り込める。)」
小説家ホンキングストン「矛盾してもいいよ」
アメリカの小説家マキシーン・ホンキングストンは、『アメリカの中国人(原題「The Woman Warrior」)』にて、学ぶことで矛盾を生む必要性を説いている。
I learned to make my mind large, as the universe is large, so that there is room for paradoxes.(拙訳:宇宙が広大なように、私はマインドを広大にする学びをした。パラドックスのための余裕ができるために。)
矛盾を否定するどころか、矛盾の余裕を自ら作りにいっているのだ。
香港のアフリカ人ビジネスマン「矛盾してもいいよ」
文化人類学者の小川さやか氏によると、香港で働くタンザニア人は、「東アフリカ人」、「移民」、「移住者」、「イスラム教徒」など、自己規定を変え、カテゴリーを横断しながら、暮らしているそうだ*3。
「俺はアフリカ人だ!異国の文化になびくか!」と一つのアイデンティティに執着するのではなく、複数のアイデンティティを横断しながらビジネスをしている。
このように、先人たちや国境をまたいで生活している人は、「自分の中で矛盾したことがあってもいいよ」と囁いてくれる。
もちろん、彼らは「矛盾してもいいよ」と直接口に出したわけではない。しかし、自己矛盾は恥じるべきことではなく、受け入れられるものであることを教えてくれる。
会社員でお金を稼ぐ自分が一方にいて、休日にバンドで音楽を楽しむ自分がもう一方にいたっていいのだ。「矛盾だから悪い」わけではなく、考えたり行動したりすることで多くの矛盾が生まれ、それらは(夏目漱石の言葉でいうならば)「調和」するのだ。何も悩むことはない。ブレブレの軸で、矛盾しまくりの人生で、それぞれの側面を全力で楽しもう。